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『かぞくのくに』 井浦新

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「かぞくのくに」という世界の中で生きていた

井浦新

「初めて台本を読んだときに感じたのは、監督の人生を投影させた物語自体の“力”です。作為的な台詞回しだったり、派手な言葉だったりは一切ない」
 ドキュメンタリーを撮り続けてきた監督の実体験に基づく話は、映像として生っぽい印象を観る者に与える。これは映画製作過程でのスタッフ全員の意識の表れだと井浦は言う。
「監督がドキュメンタリーで培ってきた“人を見るまなざし”を撮影監督も大切にしていたし、俳優部も芝居をするのではなく、目の前で起きていることを心でどう感じるのかを大切にしていました。真横に照明や音声スタッフがいて、台詞を言ってはいるんだけど、『かぞくのくに』という世界があって、その世界の中でそれぞれが生きていたと思います。生っぽさを感じるのは皆がその方向に向いていたからでしょう。監督の意図だけではそこまで生っぽい雰囲気は出なかったと思います。監督の経験に基づいてはいますが、監督の思い出再現映画を作るわけではないので、役者が監督の思いを受け止めて、自分たちなりの家族の物語に転換しなければならないと思っていました。観る人の想像力をかきたてるものにどう転換するか。辛いものを辛い、楽しいものを楽しいと伝えるだけでは作品に奥行きがなくなります。ただ人間の感情は複雑だからこそ、伝えることはシンプルにしようと意識していました。

生身の人間だからこそ出てくる言葉や表情

ドキュメンタリーかと思うほどの生っぽさを持つ作品は、意外にも幾度となく繰り返されたテストから生まれたという。
「大きな設定というか、骨組みは監督が作るものであって、自分の考えでそれを壊そうとは思いません。土壁を自分たちの心のままに作っていくことが役者の仕事だと思っています。心のままに、心を大切に芝居するからこそ、台本では描けていない、生身の人間だからこそ出てくる言葉や動きや表情があるし、それには素直に従っていました。台本の言葉を紡いでいきながらも、その言葉が出てくるにはもっと多くの言葉が実は必要なのではないかとか、自分の中で生まれた言葉が台本をどんどん飛び越えていって、感じたままにどんどんやってみていました。共演者みんなが会話や空気からそれぞれ感じ取ったものを付け足してはそぎ落としての繰り返しでした。テストを相当重ねて、ワンシーンに時間と愛情を注ぎました。
 繰り返されるテストの中で、役者がそれぞれの心を確認する作業を積み重ね、積み重ねたものを元に、本番では自由に芝居をする。今までにない実験的な方法論で撮影は進んだ。付け足してはそぎ落とす手法は編集の段階でも取られている。
 急な北朝鮮への帰国命令により翌日に帰国を控え、布団に寝転びながらも妹に何かを諭そうとする兄。観る者の心に残り、多くのことを考えさせられるシーンの一つだ。
「ソンホには北朝鮮に妻と子どもがいて、帰れば小さな幸せがしっかりある。だから北朝鮮に帰ることは絶望かといえば、そうではない気がしました。妹に『自分のやりたいように生きていくんだ』と伝えることは、自由のない自分の人生に絶望し諦めてのことではない。この思いを妹に伝えるには多くの言葉が必要でした。でも監督は編集でカットし使っていなかった。観る人の想像力に委ねるためには、たとえ心の動きを表すために現場で必要だったとしても、最終的にはあえて観せない。絶妙な仕上げでしたね。安藤サクラさんは共演してみたいと思っていた女優さんでしたし、他の共演者・スタッフも”映画の良心“といえるような人々でした。この作品に参加できて本当に良かったと思います」

 淡々としていながらも、なんともいえない感覚が作品全体に充満していると感じたのは、生身の人間から湧き出る感情を、必要な場所で必要な強さで散りばめるという緻密な計算があってのことだったのかと納得がいった。『かぞくのくに』は確かに実験的で稀有な作品である。

Story
70年代に帰国事業で北朝鮮に移住した兄ソンホ。25年ぶりに病気療養のため3カ月だけの帰国が許され両親・妹リエの待つ家に帰ってくる。全く違う世界で生きてきた25年の月日は家族に友人に何をもたらすのか。


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